名古屋まつり(郷土英傑行列) [祭り]
10月11日(土) 名古屋まつりに行ってきました。
名古屋まつりは、昭和30年から始まった名古屋の秋を彩る最大の祭です。
まつりのメインとなる豪華絢爛な行列では、
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑が約700人を従えて行進する郷土英傑行列のほか、
市指定文化財「山車」揃、市文化財「神楽」揃、フラワーカーなども登場します。
今日の記事は、画像が多く長いです。 ちょっと重くなるかもしれません。
画像全部を紹介できないから、選ぶのに苦労しました。 (ごめんなさい。。)
名古屋ではちょっと有名な「ナナちゃん」、かなり大きいものだから上半身だけの登場です。
名古屋市立桜台高等学校の生徒さんたちが、デザインした衣装です。
「ナナちゃん」のB、W、Hを詳しく知りたい方はどうぞ!!
ナイスボディーですよ~
http://www.e-meitetsu.com/mds/ladies/f_nana/index.html
過去のナナちゃんのお洒落なファションも見れますよ~
マーチングバンドの中から1人の手だけ登場!(笑
太鼓が沢山付いている楽器はなんていうのでしょう?
体力がいるだろうなぁ~(笑
桶狭間の戦い知られている有松は、「有松絞り」が有名だそうです。
さすがに、総絞りの着物が素敵でした。(早く通りすぎて上手く撮れませんでした)
有松絞り大使のお二人、可愛らしいです。 ついでに帯もパシャリ!!
ドアラちゃんは、さすが~凄い人気ですね。 名古屋の新しいシンボル?「はち丸」くん。
ひと際高い歓声が上がりましたよ。 N0Kのなんとかいうアニメのキャラクターに
似ているから、問題になったいわくつき。。
は~~い!!お待ちかね(私が)の郷土英傑行列です。
何か月前に、家康、秀吉、信長、ねねなどの役を募集してました。
応募をしたかったのですが、主人の「嫌だぁ!」の一言であきらめました。(笑
この二人、とってもかっこいい~
乗りのりでしたよ。
織田信長公
家臣の武将たち (名前は覚えてません。)歴史は苦手でした。
柴田勝家、前田利家など。。
濃姫
信長の死後、記録がなくその後が不明だそうですね。
豊臣秀吉公
大政所 ねね
慶長八年(一六〇三)、後陽成天皇より、「高台院」の号を勅賜される。
この役がやりたかったぁ~(笑
今回は、特別に鹿児島から参加!!
「篤姫」と「島津斉彬」が登場
前に座っておられますが、テレビで篤姫の人気のため?
いいえ! 篤姫様の方が身分が高かったからですね。
この御紋は? わかりますね。
お犬様(徳川5代将軍綱吉の生類哀れみの令)
これには笑いが起こりましたぁ~
本物のわんこだったら良かったのにね。(笑
最後に、徳川家康公
番外編
気がつきました?
ほとんどの画像がカメラ目線になっているでしょう?
私たちの隣にいたおばさまが、
「信長さ~~ん!」「秀ちゃ~ん、こっちを見て!!」と大声で叫んでましたぁ~
おかげで、こちらを見てポーズまで取ってくれました。
みんな役になりきってましたよ~
最後、家康さん一枚撮ったところでバッテリー切れとなりました。
では、記事もここまでとします。(笑
はい! お疲れ様でした。
ありがとうございます。
名古屋まつりは、昭和30年から始まった名古屋の秋を彩る最大の祭です。
まつりのメインとなる豪華絢爛な行列では、
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑が約700人を従えて行進する郷土英傑行列のほか、
市指定文化財「山車」揃、市文化財「神楽」揃、フラワーカーなども登場します。
今日の記事は、画像が多く長いです。 ちょっと重くなるかもしれません。
画像全部を紹介できないから、選ぶのに苦労しました。 (ごめんなさい。。)
名古屋ではちょっと有名な「ナナちゃん」、かなり大きいものだから上半身だけの登場です。
名古屋市立桜台高等学校の生徒さんたちが、デザインした衣装です。
「ナナちゃん」のB、W、Hを詳しく知りたい方はどうぞ!!
ナイスボディーですよ~
http://www.e-meitetsu.com/mds/ladies/f_nana/index.html
過去のナナちゃんのお洒落なファションも見れますよ~
マーチングバンドの中から1人の手だけ登場!(笑
太鼓が沢山付いている楽器はなんていうのでしょう?
体力がいるだろうなぁ~(笑
桶狭間の戦い知られている有松は、「有松絞り」が有名だそうです。
さすがに、総絞りの着物が素敵でした。(早く通りすぎて上手く撮れませんでした)
有松絞り大使のお二人、可愛らしいです。 ついでに帯もパシャリ!!
ドアラちゃんは、さすが~凄い人気ですね。 名古屋の新しいシンボル?「はち丸」くん。
ひと際高い歓声が上がりましたよ。 N0Kのなんとかいうアニメのキャラクターに
似ているから、問題になったいわくつき。。
は~~い!!お待ちかね(私が)の郷土英傑行列です。
何か月前に、家康、秀吉、信長、ねねなどの役を募集してました。
応募をしたかったのですが、主人の「嫌だぁ!」の一言であきらめました。(笑
この二人、とってもかっこいい~
乗りのりでしたよ。
織田信長公
家臣の武将たち (名前は覚えてません。)歴史は苦手でした。
柴田勝家、前田利家など。。
濃姫
信長の死後、記録がなくその後が不明だそうですね。
豊臣秀吉公
大政所 ねね
慶長八年(一六〇三)、後陽成天皇より、「高台院」の号を勅賜される。
この役がやりたかったぁ~(笑
今回は、特別に鹿児島から参加!!
「篤姫」と「島津斉彬」が登場
前に座っておられますが、テレビで篤姫の人気のため?
いいえ! 篤姫様の方が身分が高かったからですね。
この御紋は? わかりますね。
お犬様(徳川5代将軍綱吉の生類哀れみの令)
これには笑いが起こりましたぁ~
本物のわんこだったら良かったのにね。(笑
最後に、徳川家康公
番外編
気がつきました?
ほとんどの画像がカメラ目線になっているでしょう?
私たちの隣にいたおばさまが、
「信長さ~~ん!」「秀ちゃ~ん、こっちを見て!!」と大声で叫んでましたぁ~
おかげで、こちらを見てポーズまで取ってくれました。
みんな役になりきってましたよ~
最後、家康さん一枚撮ったところでバッテリー切れとなりました。
では、記事もここまでとします。(笑
はい! お疲れ様でした。
ありがとうございます。
天王祭で、ウォッチング!! [祭り]
前回は、山車をおもに紹介しましたが、初めて知ったことがたくさんありました。
私の出身(広島)では、こんな山車はありません。
お祭りといえば、お神輿、ワッショイ!ワッショイ! ドンドンヒャララ~ ドンヒャララ~でした。
全部が初めて見るものばかりで
祭り会場で配られていた1枚のパンフレット。すごく内容の濃いものに仕上がっています。
記事にした知識は、全部この中に書いてあります。
残念ながら会場では撮影に夢中であまり見なかった。
次回、機会があればですが、これらを頭に入れてみてみたいものです。
山車とは、お祭りのときの「出し物」として曳く、種々の装飾を施した屋台の事。
関東では、「山車」、関西では、「だんじり」や「山(やま)」などと称し、
そのほか全国に、曳山、山鉾、山笠、屋台など様々な形態の山車があります。
画像をクリックすると拡大
語源は、
神を招きよせるため外に出す「出し物」であるからとする説。
屋台の鉾につけた竹籠の網残し部分を「だし」と言ったことに由来する説。
「だし」を「山車」と書くのは当て字で、
祭礼のときに神の降りる「依り代(よりしろ)」として小さな山を作っていたものが発展し、
移動可能な車となったことから、「山車」の字が当たられたと考えられいる。
(祭りのパンフレットより)
昨日、紹介をするの忘れてました。
画像をクリックすると拡大
楫方さんの衣装は昔からの決まり事があります。
どんな世の中になっても伝えていきたい。。
以前は、祭りに参加できるのは、祭り町内の男子と限られていました。
後継者育成を第一に考え、囃子方(はやしがた)の子供たちを学区を問わず募集。
女の子も参加できるようになりました。
楫方(かじかた)を他所の若者にも務めてもらうという保存(奉賛)会が増えてるそうです。
囃子は、「山車が動いている間は休むな」というシキタリがあるとか。
祭りが終わって帰るときの囃子はもの悲しい調子。
ほかの山車とすれ違うときはテンポの速いものというように
場面ごとに奏する囃子が決まっているそうですよ。
知ってました? (私は知りませんでした。)
囃子の稽古は、祭りの1ヶ月~2週間前から、毎晩、行われます。
山車の組み方、楫方、人形の操作などの技を伝承していくのは容易ではありませんね。
粋でカッコイイですね。 やってみたいなぁ~(笑
休憩中!
低学年の男の子、女の子 疲れちゃったねぇ~ リラックスムードたっぷりで~す。
画像をクリックすると拡大
名古屋の山車は、屋根が上下するように造ってあります。
東照宮祭で名古屋城の門をくぐって城内に入ることから、
このような造りになってるそうですよ。
また、輪掛(わがけ)とよばれる格子状の車輪の覆いがついてます。
(ひとつ上の右の画像に輪掛が写ってますよ。)
犬山、半田などの山車にはありません。
祭りより、楽しいねぇ~
僕たちは、こっちのほうが楽しいよ~ 汗びしょりになって遊んでましたよ。
一丁前に半纏姿が可愛い~ 将来は、立派な楫方(かじかた)になるんでしょうね。。
お祭り? 関係な~~いよ!!
なが~~~くなってネンネ。 シャッターの音で起こしちゃいましたぁ~
だあれ~~ お昼寝のジャマをする人は。。
おまけ
お祭りの屋台、何年ぶりだろう~
子供頃、売ってたお面はキティーちゃん、ミッキーちゃんなんてなかったよ~
あったのは、おたふく、ヒョットコで、キャラクターは月光仮面、おばQでした。
きゃぁ~! 恥ずかしいぃぃぃ。。。 年がわかるね。。
知らない人のほうが多いでしょうね?
お知らせ
「名古屋まつり山車揃え」が、10月にあるそうですよ。
山車9輌が市役所前に整列。
郷土英傑行列の先頭を切ってパレードするそうです。
近くの方で興味があれば、ぜひ、行ってみてくださいね。
★この祭りで、ハッスルし過ぎたのか、この日以来、調子が悪くて。。
訪問も滞っています。すみません。 記事をUPするのが精一杯で!!
5月からの画像がたくさん溜まってしまいました。
早くしないとお蔵入りになりそうです。。(汗
ゆっくりですが訪問していきたいと思っています。
どうかよろしくお願いします。
私の出身(広島)では、こんな山車はありません。
お祭りといえば、お神輿、ワッショイ!ワッショイ! ドンドンヒャララ~ ドンヒャララ~でした。
全部が初めて見るものばかりで
祭り会場で配られていた1枚のパンフレット。すごく内容の濃いものに仕上がっています。
記事にした知識は、全部この中に書いてあります。
残念ながら会場では撮影に夢中であまり見なかった。
次回、機会があればですが、これらを頭に入れてみてみたいものです。
山車とは、お祭りのときの「出し物」として曳く、種々の装飾を施した屋台の事。
関東では、「山車」、関西では、「だんじり」や「山(やま)」などと称し、
そのほか全国に、曳山、山鉾、山笠、屋台など様々な形態の山車があります。
画像をクリックすると拡大
語源は、
神を招きよせるため外に出す「出し物」であるからとする説。
屋台の鉾につけた竹籠の網残し部分を「だし」と言ったことに由来する説。
「だし」を「山車」と書くのは当て字で、
祭礼のときに神の降りる「依り代(よりしろ)」として小さな山を作っていたものが発展し、
移動可能な車となったことから、「山車」の字が当たられたと考えられいる。
(祭りのパンフレットより)
昨日、紹介をするの忘れてました。
画像をクリックすると拡大
楫方さんの衣装は昔からの決まり事があります。
どんな世の中になっても伝えていきたい。。
以前は、祭りに参加できるのは、祭り町内の男子と限られていました。
後継者育成を第一に考え、囃子方(はやしがた)の子供たちを学区を問わず募集。
女の子も参加できるようになりました。
楫方(かじかた)を他所の若者にも務めてもらうという保存(奉賛)会が増えてるそうです。
囃子は、「山車が動いている間は休むな」というシキタリがあるとか。
祭りが終わって帰るときの囃子はもの悲しい調子。
ほかの山車とすれ違うときはテンポの速いものというように
場面ごとに奏する囃子が決まっているそうですよ。
知ってました? (私は知りませんでした。)
囃子の稽古は、祭りの1ヶ月~2週間前から、毎晩、行われます。
山車の組み方、楫方、人形の操作などの技を伝承していくのは容易ではありませんね。
粋でカッコイイですね。 やってみたいなぁ~(笑
休憩中!
低学年の男の子、女の子 疲れちゃったねぇ~ リラックスムードたっぷりで~す。
画像をクリックすると拡大
名古屋の山車は、屋根が上下するように造ってあります。
東照宮祭で名古屋城の門をくぐって城内に入ることから、
このような造りになってるそうですよ。
また、輪掛(わがけ)とよばれる格子状の車輪の覆いがついてます。
(ひとつ上の右の画像に輪掛が写ってますよ。)
犬山、半田などの山車にはありません。
祭りより、楽しいねぇ~
僕たちは、こっちのほうが楽しいよ~ 汗びしょりになって遊んでましたよ。
一丁前に半纏姿が可愛い~ 将来は、立派な楫方(かじかた)になるんでしょうね。。
お祭り? 関係な~~いよ!!
なが~~~くなってネンネ。 シャッターの音で起こしちゃいましたぁ~
だあれ~~ お昼寝のジャマをする人は。。
おまけ
お祭りの屋台、何年ぶりだろう~
子供頃、売ってたお面はキティーちゃん、ミッキーちゃんなんてなかったよ~
あったのは、おたふく、ヒョットコで、キャラクターは月光仮面、おばQでした。
きゃぁ~! 恥ずかしいぃぃぃ。。。 年がわかるね。。
知らない人のほうが多いでしょうね?
お知らせ
「名古屋まつり山車揃え」が、10月にあるそうですよ。
山車9輌が市役所前に整列。
郷土英傑行列の先頭を切ってパレードするそうです。
近くの方で興味があれば、ぜひ、行ってみてくださいね。
★この祭りで、ハッスルし過ぎたのか、この日以来、調子が悪くて。。
訪問も滞っています。すみません。 記事をUPするのが精一杯で!!
5月からの画像がたくさん溜まってしまいました。
早くしないとお蔵入りになりそうです。。(汗
ゆっくりですが訪問していきたいと思っています。
どうかよろしくお願いします。
天王祭(名古屋)に行きました。 [祭り]
6月8日(日)に天王祭に行ってきました。
(先週のことですが、記事の編集が出来なくて遅くなりました。)^^
この日は、徳川美術館の前で山車揃え(5輌)がありました。
2010年、開府400年を迎える名古屋。
城下町の一角に東区筒井町(つついちょう)と出来町(できまち)があります。
筒井町は、武士の侍屋敷と商人の町。 出来町は、職人の町として栄えました。
隣り合う二つの地区では、
町内の無病息災を願う天王祭が江戸期から行われ、
からくり人形をのせた山車が町内を練り歩きます。
(祭りのパンプレットより)
午前11時からということで、写真を撮るために早めに行き、
山車の通り道のロープが張ってあるすぐ前を確保しました。
これで、バッチリ撮影できるはず~
さぁ~ いよいよ! 始まります。。
お囃子と共に、ゆっくりと~
えぇ~~
近過ぎて山車全体が撮れません。手を伸ばせば届く距離です。
目の前を大きな壁が通っているみたいです。。(笑
だから、上の方しか写ってませ~~ん。 ごめんなさい。。
仕方ないので、山車の横の幕(なんていうのかわからない)を撮ることに!!
祭りのあれこれ
大幕はなぜ赤いのでしょう?
山車の大幕に用いられる赤い幕を猩々緋幕(しょうじょうひまく)と言います。
猩々緋とは、江戸時代に南蛮から輸入した毛織物で、猩々(想像上の動物)の
血で染められていたと伝えられてます。
7代藩主宗春公の時代に、東照宮まつりの山車に初めて採用されました。
尾張一円に山車に広がるのは、斎朝(なりとも)公より1835年(天保6)年に
若宮祭祭礼車の福禄寿車が拝領してからといわれています。
(祭りのパンフレットより)
結局、途中で後ろに下がりました。
綱頭さんたちが集結!
「出合い」の儀式(あいさつ)をします。
口上が済んだらカラクリのお披露目です。
楫方(かじかた)さんたちは神妙な顔に!!
半纏、モモヒキの格子は「弁慶格子」と呼ばれています。
鹿子神車(かしかじんしゃ) 西之切奉賛会
画像をクリックすると拡大
★唐子人形(小)が逆立ちして小太鼓を打ち鳴らし、もう一体の唐子人形(中)が
扇子太鼓を乱打しながら飛び回る。それを見て大将人形が軍配を高々とあげます。
湯取車(ゆとりぐるま) 湯取車保存会
画像をクリックすると拡大
★現存する名古屋の山車では最も古いそうです。1658(万治元)年造られる
安部清明の前で神子が両手に持つ笹束で湯を振り掛ける仕草をし
湯の花といわれる紙ふぶきが吹き出すからくりは、お湯で厄災を清める
「湯取り神事」を表してます。
神皇車(じんこうしゃ) 筒井町神皇車保存会
画像をクリックすると拡大
★舞を踊った巫女が鬼の面をかぶり、竜神に早変わりするからくりです。
神功皇后(じんぐうこうごう)三韓征伐の折、竜神が現れ波をしずめた故事から。
★印は、パンフレットより
祭りのあれこれ
曲げ場
辻では楫方と呼ばれる若者が楫棒を担ぎ、約二千貫の山車を持ち上げて
方向転換をします。 このときに大切な役割をするのが「腰廻り」。
てこ棒を操り後輪が流れるのをふせぐなど、車輪の位置の調整をします。
(祭りのパンフレットより)
そして、地面をしっかりと踏みしめるためには、これ!!
モモヒキが弁慶格子でないから、「腰廻り」さんかな?
お願いして撮らせてもらいましたが、カメラを向けると足を組んで。。
偶然にも、二人が同じポーズに!! なんだか可愛いですよね。
画像をクリックすると拡大
左から、河水車(かすいしゃ)、神皇車(じんこうしゃ)、湯取車(ゆとりぐるま)
河水車(かすいしゃ) 中之切奉賛会
この町に200年来伝わってきた能楽「石橋(しゃっきょう)」に由来する、
勇壮で激しい動きの獅子舞のからくり。
********** 後半に続きます。 **********
(先週のことですが、記事の編集が出来なくて遅くなりました。)^^
この日は、徳川美術館の前で山車揃え(5輌)がありました。
2010年、開府400年を迎える名古屋。
城下町の一角に東区筒井町(つついちょう)と出来町(できまち)があります。
筒井町は、武士の侍屋敷と商人の町。 出来町は、職人の町として栄えました。
隣り合う二つの地区では、
町内の無病息災を願う天王祭が江戸期から行われ、
からくり人形をのせた山車が町内を練り歩きます。
(祭りのパンプレットより)
午前11時からということで、写真を撮るために早めに行き、
山車の通り道のロープが張ってあるすぐ前を確保しました。
これで、バッチリ撮影できるはず~
さぁ~ いよいよ! 始まります。。
お囃子と共に、ゆっくりと~
えぇ~~
近過ぎて山車全体が撮れません。手を伸ばせば届く距離です。
目の前を大きな壁が通っているみたいです。。(笑
だから、上の方しか写ってませ~~ん。 ごめんなさい。。
仕方ないので、山車の横の幕(なんていうのかわからない)を撮ることに!!
祭りのあれこれ
大幕はなぜ赤いのでしょう?
山車の大幕に用いられる赤い幕を猩々緋幕(しょうじょうひまく)と言います。
猩々緋とは、江戸時代に南蛮から輸入した毛織物で、猩々(想像上の動物)の
血で染められていたと伝えられてます。
7代藩主宗春公の時代に、東照宮まつりの山車に初めて採用されました。
尾張一円に山車に広がるのは、斎朝(なりとも)公より1835年(天保6)年に
若宮祭祭礼車の福禄寿車が拝領してからといわれています。
(祭りのパンフレットより)
結局、途中で後ろに下がりました。
綱頭さんたちが集結!
「出合い」の儀式(あいさつ)をします。
口上が済んだらカラクリのお披露目です。
楫方(かじかた)さんたちは神妙な顔に!!
半纏、モモヒキの格子は「弁慶格子」と呼ばれています。
鹿子神車(かしかじんしゃ) 西之切奉賛会
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★唐子人形(小)が逆立ちして小太鼓を打ち鳴らし、もう一体の唐子人形(中)が
扇子太鼓を乱打しながら飛び回る。それを見て大将人形が軍配を高々とあげます。
湯取車(ゆとりぐるま) 湯取車保存会
画像をクリックすると拡大
★現存する名古屋の山車では最も古いそうです。1658(万治元)年造られる
安部清明の前で神子が両手に持つ笹束で湯を振り掛ける仕草をし
湯の花といわれる紙ふぶきが吹き出すからくりは、お湯で厄災を清める
「湯取り神事」を表してます。
神皇車(じんこうしゃ) 筒井町神皇車保存会
画像をクリックすると拡大
★舞を踊った巫女が鬼の面をかぶり、竜神に早変わりするからくりです。
神功皇后(じんぐうこうごう)三韓征伐の折、竜神が現れ波をしずめた故事から。
★印は、パンフレットより
祭りのあれこれ
曲げ場
辻では楫方と呼ばれる若者が楫棒を担ぎ、約二千貫の山車を持ち上げて
方向転換をします。 このときに大切な役割をするのが「腰廻り」。
てこ棒を操り後輪が流れるのをふせぐなど、車輪の位置の調整をします。
(祭りのパンフレットより)
そして、地面をしっかりと踏みしめるためには、これ!!
モモヒキが弁慶格子でないから、「腰廻り」さんかな?
お願いして撮らせてもらいましたが、カメラを向けると足を組んで。。
偶然にも、二人が同じポーズに!! なんだか可愛いですよね。
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左から、河水車(かすいしゃ)、神皇車(じんこうしゃ)、湯取車(ゆとりぐるま)
河水車(かすいしゃ) 中之切奉賛会
この町に200年来伝わってきた能楽「石橋(しゃっきょう)」に由来する、
勇壮で激しい動きの獅子舞のからくり。
********** 後半に続きます。 **********